みなさん、こんにちは!GWを満喫していますか?
日本のGWは昭和の日、憲法記念日、みどりの日とこどもの日で構成されていて、今回は「みどりの日」にちなんで「緑」に関する香港のことを紹介したいと思います!
とはいえ、みどりの日は自然や植物の緑に関連していますが、香港の「綠」はまったく違う方向です(笑)
香港の綠、PANTONEによる正式名称は「香港電車綠(ヒョーン・ゴン・ディン・チェー・ロッ)」、英語ではHK Tram Greenです。なぜ「電車綠」かというと、香港電車の歴史と象徴を記念するためです。
香港電車(Hong Kong Tramways)は日本語でいう電車と違います。香港電車は二階建て車両で走行する路面電車です。1904年よりサービスを提供し始め、香港島における主要な交通機関です。香港では、唯一後ろから乗車、前から下車、しかも下車の際に乗車料金を払うものです。また、定額の乗車料金は路面交通機関の中で最も安いのです。昔は香港島の海沿いにレールが敷かれていましたが、埋め立ての繰り返しにより、現在は海から遠くなってしまいました。走行方向は終点駅に加え「東行き」と「西行き」で記されています。道路に敷いたレールで走行するため、バスや乗用車などの一般車両と同じ道路を使うのです。昔から走行中に、歩行者と他の車両の運転手に気づくように、「叮叮(デェン・デェン)」の音を出すため、「叮叮」がそのまま愛称になっています。日本語では「叮叮」は擬音語「チンチン」に似ているため、日本語では「チンチン電車」という愛称もあるそうです。
多くの国や地域は戦後から路面電車を撤去し始めました。また、香港島に地下鉄が開通される時も「叮叮」を撤去するような議論がされました。1984年に行われた民意アンケートでは多くの市民が「叮叮」を保留したいと回答し、「叮叮」が保留されました。このような背景もあり、二階建て路面電車というのは世界でも稀であるため、香港電車は2021年に「現在運行中の二階建てトラムの車両保有数」が世界最多としてギネス世界記録に認定されました。多くの文学作品にも登場している、観光客にも香港人にも愛されている香港電車です。最高時速88キロを出せる「叮叮」ですが、道路を共有で使用するため、一般的に時速10〜20キロで走行しています。そのため、せわしない香港では、ゆっくりと走る「叮叮」に乗るのは多くの香港島民にとって息抜きのひと時です。
しかし!「香港電車綠」とはいえ、この色は香港電車にだけ使われたのではないんです!他にも有名なピークトラム(第四代、第六代)、スターフェリーなどの交通機関がこの綠色を使っています。
1888年よりサービス提供を始めた、香港最古の交通機関かつアジア初のケーブルカーの「山頂纜車(サン・デェーン・ラム・チェ)」も同じ綠色を使っていた時期があります。ほかに赤色の時期もあります。今は観光客が乗ることが多いが、設立当初はピークに住んでいる官僚やお金持ちの方々がセントラルとピークを往来しやすくするためと言われています。システムは日本の立山黒部貫光黒部ケーブルカーと同じようです。
1898年よりサービスを提供し始めた「天星小輪(ティン・セィン・シウ・ルン)」は海底トンネルやブリッジが整備される前に九龍と香港島を往来する唯一の海上交通機関です。ビクトリアハーバーを渡るフェリーですが、埋め立てにより、ハーバー自体が狭くなり、乗船時間も昔より大分短くなってしまいました。それでも天星小輪に乗って、海風や潮のにおいを感じ、両岸の景色を楽しめるため、今でも多くの香港人や観光客に愛されています。しかし、最近では経営難で存続が危うくなっています。
ここまでは交通機関ばかりですが、生活面でもこの「香港綠」がたくさん使われていたのです!
1960年代から香港で多く使われるバーナー「火水爐(フォー・スイ・ロウ)」です。主に調理の際に使用され、1970年代はほぼ各家庭に一台あると言われています。「火水爐」が導入されるまでは、薪などの木材で火おこしするのが一般的でした。不便な木材よりケロシンの方が貯蔵も使用も便利なため、大変人気でした。ケロシンは水のような液体なのに火がつくため、広東語では「火水」といいます。しかし、後にさらに便利なガスコンロが登場し、「火水爐」も使われなくなり、現在ではほとんど見ません。
露天商の日除け兼雨除けテント、両方とも色褪せている
このように、「香港綠」は多く使われています。理由としては定かではないが、最も有力なのは戦時中の影響説です。この綠色は戦時中において、山林などで身を隠すのに適しているため、戦車など軍用の塗料として大量生産されました。戦後は軍用需要が減り、大量に残った緑色の塗料は第三世界などの植民地に売られていました。戦後の香港は経済発展が滞り、難民も多かったため、安く手に入るこの綠塗料が好まれました。最盛期は電柱や街の手すりなど何もかも綠一色でした。そのため、この綠は香港人とともに奮闘してきたと言っても過言ではないでしょう。今では塗り直されることが多く、この綠が香港の街から消えつつあります。今度香港に行く時は是非この綠を探してみてはいかがでしょうか。