* 意訳:お人形ラーメン
* 広東語発音:ゴン・ザイ・ミン
「サテソース牛肉ラーメン、レモンティーください!」(香港の喫茶店でよくある日常会話)
「帰ってきたの?(母⇒子供)ラーメン食べるかい?(家庭内でよくある日常会話)
「ピー!ピー!ピー!ハーフタイム。ラーメンでも食べるとするか!」(サッカー好きによくある日常会話)
私たち香港人の生活の中で、インスタントラーメンは不可欠な食べ物です。
無論、朝・昼・晩だけではなく、おやつとしても夜食としても、簡単に一食とすることが多いです。
インスタントラーメンの誕生は、台湾出身の日本人である安藤百福が1958年に妻が天ぷらを揚げているのを見て、麺でも油で揚げれば即席食品になると考え、後に日清食品を創立したと言われています。また一説によると安藤百福が台湾人である張国文からレシピの特許を買ったとされており、インスタントラーメンを「発明」したかどうかについては異論が存在します。
しかし、インスタントラーメンが香港市場に進出できたのは間違えなく、王清熙と周文軒のお二人です。
周文軒は戦後に織物大王となり、華南染め工場を所有していました。王清熙は戦後に来港し、淘大(香港の醤油と食品メーカー)で勤めていました。一人はお金持ちで食品ビジネスで発展させたいと考えており、もう一人は食品メーカーで豊富な経験の持ち主です。二人は一緒に食事をして、即決で「永南食品」設立しました。会社を設立したが、メインとなる商品がありませんでした。当時日本ではすでに、インスタントラーメンが大人気でした。中国人も麺が大好きと考えた王清熙は日本の麺工場へ参観しました。
当初インスタントラーメンは南聯工業ビルと協力して販売していました。そしてパッケージにはお人形のロゴがあり、このロゴが後に重要な目印をなっていきます。香港人はこれを「インスタントラーメン」と言わず、「便利ラーメン」でもなく、「科学ラーメン」でもなく。「公仔麵」(意訳:お人形ラーメン)と言うようになりました。
一般の宣伝手段のほか、永南食品は団地などでも公仔麵を配布していました。一般市民を援助しながら、公仔麵の認知度を高めたいからでした。また、香港の80年代のゴールデン番組だった《歡樂今宵》のスポンサーになり、番組内では公仔麺が提供する「採掘ゲーム」がありました。公仔麵のお人形ロゴが繰り返し出現することにより、お茶の間に入ることに成功しました。1983年には公仔麵のカップヌードルも販売され、より一層便利になりました。
出る杭は打たれる。永南食品はまず1985年にアメリカの有名食品メーカーであるベアトリスフーズに株を大幅に買収され、また本家のインスタントラーメンとされる日清食品もローカルブランド公仔麵に負けずと80年代後半に出前一丁を香港進出させました。打倒公仔麵の日清食品は最終的に公仔麵も買収しました。香港産の公仔麵は香港人にだけでなく、日本人にも人気です。
トラベルサイト「Retrip.jp」の統計によると日本人が香港旅行で「必ず買うお土産トップ10ランキング」では香港版出前一丁がランクインされています。香港人にとって、インスタントラーメンはたくさんの調理法があり、炒め・汁なし・チーズトッピングなどがあり、徐々に香港の代表的な食べ物の一つとなりました。
@wetoasthk に原文引用および翻訳許可を感謝いたします。
↓こちらが原文リンクです↓