香港を訪れたことがある方や、香港映画が大好きな方、この写真をご覧になって、少し懐かしい感じはありませんか。これが今回ご紹介したい、古き香港の象徴の一つの霓虹燈招牌(ンァイ・ホーン・ダァン・ジウ・パイ)つまりネオンサインです。
ネオンサインの背景
ネオン電球はフランスの科学者が発明したと言われています。欧米の技術が当時イギリス領の香港や上海租界に伝わりました。日中戦争や内戦が相次ぎ、上海から技術や資金とともに香港に逃げてきた大量のネオンライト職人もネオンサインが50年代に香港で発展する理由の一つです。
香港にとってネオンサインとは
1経済発展
香港の経済は60〜80年代までの間に急速な成長を成し遂げました。それを反映するように、ネオンサインの数もその間に増え、80〜90年代が最も多かったです。なぜならば、経済発展に伴い、市民の消費力も高くなり、いかに多くの客を呼び込むかが商人側の仕事の一つでした。そこでネオンサインに目をつけたというのです。海外の例を見ると、ネオンサインが多い地区=繁華街というイメージがありますが、香港ではそうとは限らなかったです。香港のネオンサインを研究する学者Brain KwokとAnneke Coppoolseによれば、香港のネオンサインは大きく4つに分類できます:
娯楽施設:バー、ホテル/モーテル、雀荘、キャバクラ、サウナ、ビリヤード等
商業施設:服屋、電気屋、ショッピングセンター等
飲食店:茶餐廳、チャイニーズレストラン、火鍋専門店など
その他:漢方薬局、質屋など
中でも、娯楽施設の類は海外の繁華街と似ているが、ほかの3つは香港にだけ多く見られるという。
2総合的建築
公営住宅が計画される前、唐樓(トーン・ラウ)や総合用途建築物(商業、工業、住宅用途一体化の建物)が一般的な住居とされていました。これらの建物の特徴の一つは下舗上居(ハー・ポウ・ショーン・ゴォイ)、つまり一階がお店で、二階以上が住むところです。買い物の場所が家に近いゆえ、様々なネオンサインが作られ、いつどこでも客引きをするような役割を与えられたのです。このような特殊な町区画だからこそ、ネオンサインは香港では繁華街以外の地区でも多く掛けているのです。
3創造力と自由
その時のネオンサインには特に建築制限がなく、大きさ、形状、高さ、色などすべてが自由で、だからこそ創造力と表現力が様々でした。一つだけ暗黙のルールは人のネオンサインの前により大きく、完全に見えないほど妨げるのはダメだという説があったそうです。それでも、基本的には自由自在で、他人にはない、より目立つものを作ろうという善意的競争があるからこそ、当時の香港は「東方の真珠」と呼ばれるのです。
消えつつあるネオンサイン
1建築条例
2010年より建築法等の改正により、ネオンサインの高さや大きさが制限され、多くのネオンサインが撤去されてしまいしました。中には、地区のランドマークのような存在であったものも逃れられませんでした。2020年までに、すでに9割のネオンサインが香港の町から姿を消しました。
2住宅と商業施設の分割
公営住宅街が90年代に多く作られ、人々は下舗上居の家から公営住宅に引っ越し、住居形態が変わりました。今まで多くは一階にあるお店がショッピングモールの中に移り、ネオンサインで客を呼び込むことへの需要が減りました。
3オンラインショップ
今までの店舗がオンラインショップへ転向することも加わり、ネオンサインを使用するという宣伝方法は合わなくなりました。また、ネオンサインの維持費や電気代もかなり高いため、店舗すら持たない観点から、ネオンサインの撤去も必然と言えるでしょう。
香港のとある通り
ネオンサインの文字
ネオンサインに使うガラス管を双鈎と単鈎で文字を表現し、それに背景や形の組み合わせでほかの店のネオンサインと被らないようにデザインします。一般的に、お店の名前を双鈎で、目玉商品やサービスを単鈎で作ります。
豪華絢爛のネオンサインが街中に掛けられる場面は、昔の香港映画でしか見られないのはとても残念ですが、みなさんは香港で見た印象に残るネオンサインはありますか。最近はネオンサインの手作りワークショップもあるようで、興味ある方はぜひ検索してみてくださいね!
弊会では会員登録をしていただきますとオリジナルマスクケースがプレゼントされます。
このマスクケース、実はネオンサインをイメージしているんです!
もし欲しかったら是非、会員登録をお待ちしております。笑
会員登録リンク:https://jphker.org/ja/membership-ja/registration-ja/