こんにちは!最近は町を歩くと、「新五百円は対応できません」の張り紙をときどき見かけます。そういえば、去年11月から500円玉が新デザインになりましたね。バイカラー・クラッドという技術を用いて作られたそうです。実は香港で流通している硬貨の中にもバイカラーの技術が用いられているものがあります。そもそも、みなさんは疑問に思うことありませんか?なぜ香港ではイギリスポンドでも、中国人民元でもなく、香港ドルを使うんだろうか?なぜ香港のお札にはたくさんデザインがあるんだろうか?それでは、今回は二編連続で香港の貨幣―香港ドルにまつわることをご紹介いたします。
香港の貨幣:港圓(ゴン・イュン、香港ドル)の歴史
現在香港で流通している貨幣、香港ドルの通貨記号は HK$ 、通貨コードは HKD です。広東語では「港元(ゴン・イュン)」、「港紙(ゴン・ジー)」、「港幣(ゴン・バイ)」とも呼ばれています。Dollarの漢訳は一般的に圓または元です。そのため、〇〇ドルという外貨を香港では「〇圓」または「〇元」と呼びます。
通貨を「圓」と呼ぶのは香港が最初とされています。現在の金本位制に対し、20世紀初期までは銀本位制の国が多かったです。ちなみに、銀行の銀は「銀=貨幣(お金)」という意味らしいです。それらの国では銀で鋳造された円い硬貨を使用するため、その硬貨を「銀圓(ンアン・イュン、圓=円い)」と呼ぶのです。ただし、この時点で言う「銀圓」はまだお金の単位ではなく、あくまでもお金の見た目を示す言葉で、単位としては銀〇両です。今で言うと「諭吉1枚」の「諭吉」に似た感じです。
香港がイギリスの植民地になった初期(1841年頃~)はイギリスの通貨英鎊(広東語:イェン・ボーン、「スターリングポンド」)を使用していたが、当時の清などの主要な貿易引取先では銀が主な通貨のため、清、メキシコ、スペインやインドなどの銀圓が香港で流通していました。1845年には、これらの通貨の相互値を定めました。1857年には、東藩滙理銀行(広東語:ドン・ファン・フゥイ・レイ・ンアン・ホーン、「オリエンタルバンク」)が発行した紙幣を政府の行政費などの支払いに認めるとされました。さらに、当時の政府が通貨の管理をしやすくするため、1862年の7月に香港を銀本位制にすると発表し、「銀圓」を通貨単位にしました。ここではじめて「銀圓」が正式的にお金の単位になり、つまり「諭吉1枚」から「一万円」になったのです。当時香港で造られた銀圓はすべて「香港壹圓」と印字され、この「圓」という通貨単位が中国、日本、韓国などに広まりました。圓は円の旧漢字で、日本で使われている「円」という単位のルーツにあたります。1895年には、メキシコ銀圓、イギリスポンドと香港銀圓が香港の法的通貨と指定されましたが、一般市民の間ではスペイン、清や日本の銀圓も使われています。19世紀末から20世紀初期まで香港で流通する紙幣の発行を許可することや、1912、13年頃に清および中華民国やその他の国の銀圓を排除する試みなど、しばらくは様々な通貨が使用されている混乱状態でした。香港銀圓が廃止されるまでの間、香港本土より広東省南部で多く使用され、流通していました。
1935年から1937年にかけて、銀本位制から金本位制に移行し、銀圓の流通を止め、新しい紙幣と硬貨を作り、旧銀圓と交換するなどして、「港元」を正式的に香港の法定貨幣単位にしました。同時に、港元とポンドの為替レートを16.8港元=1ポンドと定めました。以降、戦時中の日本領の間を除き、本日も港元が香港唯一の法定貨幣です。
人民元を使わない理由
ここで疑問に思うかもしれません:今は中国領なのになぜ「港元」のままなのだろうか。その理由は主に二つあります。
一つ目は「一国二制度」です。香港は経済体系上も従来の制度を保ち続けます。つまり資本主義の香港と社会主義の中国の体系上の違いにより、経済市場の自由度が異なります。そのため港元は香港金融管理局により運営され、香港は外為管理上では外国と同様の扱いになります。
二つ目は、港元と人民元に対する国際的許容度です。人民元より長い歴史と特別な背景により、港元はすでに国際的に兌換(だかん)可能かつ流通可能な国際通貨です。一方、人民元は中華人民共和国の国内での流通に限られる国内通貨です。ちなみに、人民元が海外通貨との直接兌換は2013年以降になっています。
自由経済かつ中継貿易が発達しているため、海外との取引が多い香港では港元のままのほうが影響を抑えられます。また、1949年に成立した中華人民共和国は歴史が浅く、社会も経済も不穏でした。それに対し長い歴史を持つ香港は経済的発展を遂げ、安定した体系を有しています。そのため、中国の対外貿易は香港という踏み石がなければなりませんでした。中国の経済発展は香港に頼ってきたというのも過言ではないでしょう。
港元の米ドルペッグ制
香港通貨の話をすると、港元の米ドルペッグ制は外してはいけません。今の香港の米ドルペッグ制はカレンシーボード制です。つまりHK$1を発行ごとに相当する米ドルが裏付けられるように、港元を発券する際は相応の額の米ドルを預託しなければならないということです。あれ?今までの話で、一度も米ドルが出てきていないのに、なぜ米ドルと結びついたのですか?実はこれにも歴史がかかってきます。
冒頭にも言ったように、1935年まで香港の貨幣制度は銀本位制でした。1935年に銀本位制から金本位制に変更し、1972年まではポンドペッグ制でした。しかし、イギリス経済の弱まりに連れ、港元の支えとしては不穏でした。1972年から1974年の間、一度ポンドペッグ制からドルペッグ制に切り替えました。初期の5.65港元=1米ドルから、中間の5.085港元=1米ドルに変更したこともありました。1974年末には米ドルが弱まり、港元はドルペッグ制からフロート制に切り替えました。しかし、この決断は香港の経済を揺らしました。貿易上の差、貨幣のデバリュエーション、激しいインフレなどの問題が相次ぎ襲ってきました。さらに、1980年代初期、香港の将来問題や株価大暴落などが加わり、港元のデバリュエーションは持続し、9.60港元=1米ドルまでに暴落しました。これらの問題に歯止めをかけ、1983年10月17日から7.8港元=1米ドルというドルペッグ制が再度制定されました。それも本日まで7.75〜7.85港元=1米ドルに定着しています。
ここまできて、ペッグ制または固定相場制とは何かというと、為替レートをある特定の水準に固定もしくは変動を極小幅に限定する制度です。経済実勢がどうであれ一定程度の為替レートが保たれるため、為替の差による損益が発生せず、安定的に利益を確保できるメリットがあります。その反対がフロート制または変動相場制です。
対外貿易が多い香港を他国の経済や為替レートの浮動の影響から守り、香港で投資や関連活動をする際に面するリスクを軽減する重要な役割を果たしています。港元は大きく変動しないため、香港で投資活動を行っても背負うリスクはある程度予想できます。予想できない、果てしないリスクより、リスクを予想できる香港で投資活動した方が有利とのことです。
港元のドルペッグ制は数多くの金融危機を凌いできました。1987年の株価大暴落、1990年の湾岸戦争、1992年の欧州為替相場メカニズム危機、1994年のメキシコペソ危機や1997年アジア通貨危機などを経ても、港元のドルペッグ制は安定しています。これも海外投資者にとって香港の魅力の一つと言えるでしょう。ちなみに、マカオのパタカは香港ドルペッグ制で、1.03パタカ=1港元です。つまり、間接的にドルペッグ制です。
特筆すべきは1997年のアジア通貨危機です。アジアおよび東南アジアにおいてバブル経済が弾け、タイから先にドルペッグ制が崩れ落ち、フロート制に切り替わった瞬間を狙った投資家は次第に香港へ目を向けました。投資家からの襲撃を当時の財務官たちが力尽きて対応し、香港自身が有する2,000億の港元備蓄を運用し独力で投資家を撃退しました。この動きは一度は評価されなかったが、後に参考すべきであるなど高評価されることもありました。
ここまでが、港元の歴史でした。堅いお話でここまでお読みいただきありがとうございます。筆者は経済学専攻ではないため、理解するのも書くのも大変でした(汗)言い間違いや経済学用語への説明が不十分な部分はご愛嬌ということでお許しください。港元のデザインや発行については引き続きこちらをご覧ください。