2024年5月に香港で上映された映画「九龍城寨之圍城」(ガウ・ロン・シェイン・ザイ・ジー・ワイ・シェイン)が大ヒットし、上映41日で興行収入が1億香港ドル(約20億円)を超え、現在歴代興行収入で第2位になっています。
「九龍城寨之圍城」の映画ポスター 出典:九龍城寨之圍城公式Facebook
題名の中の「九龍城寨」は日本でも有名な「九龍城砦」のことです。「九龍城砦」にまつわる伝説や謎は語りきれないぐらい多いですが、その中で香港人でも困惑するのは、「九龍城砦」の本当の名前はどちらだ?という質問です。
「九龍城寨」VS「九龍寨城」
香港では「九龍城寨」(ガウ・ロン・シェイン・ザイ)と「九龍寨城」(ガウ・ロン・ザイ・シェイン)という2つの名前が同時に存在しています。
日本では、「九龍城砦」と呼ばれているから、「九龍城寨」が正しいのではないかと何となく思っちゃうかもしれませんが、実は答えはそんな簡単なものではありません。
歴史を遡ってみると、清時代(1644年~1912年)に海賊対策として、視界が広い「九龍村」(ガウ・ロン・ツュン)で烽火台が設置されて、駐屯しました。これが後に「九龍寨(ガウ・ロン・ザイ)」という名前が付けられました。
清の嘉慶時代に編集された地方誌 出典:當代中國
1842年に南京条約により、香港島が割譲され、イギリス領になったため、清政府がイギリスの侵略を防ぐため、さらに「九龍寨」に砲台や城壁を築かれました。「九龍寨」は「お城」のような形になり、1847年に「九龍寨城」という名前が付けられました。
「九龍寨城」から「九龍城寨」へ
1847年から1943年までは「九龍寨城」は唯一の名前でしたが、第二次世界大戦の後、「九龍城寨」という名前が出てきました。
1943年に日本軍が香港を占領した際に、「寨城」の近くにある啓徳空港を拡張するため、「寨城」の城壁を取り壊して、工事の資材にしました。ただ、城壁の一部は利用されないように、当時の人地下にに埋められました。
第二次世界大戦の後、再びイギリス領になった香港は、イギリス政府によって地域を分けられて再開発されました。城壁がなくなった「九龍寨城」は「九龍城区」に分けられているからか、いつの間にか、「九龍城寨」と呼ばれるようになりました。
「九龍寨城」が正しい…本当にそれでいいのか?
第二次世界大戦後の香港では、基本「九龍城寨」という名前が定着されていました。しかし、1994年の解体工事で、第二次世界大戦の期間中に埋められた扁額が発見されて、「九龍寨城」という名前が再び現れました。
「九龍寨城」の南門の遺跡 出典:SoLeisure
この遺跡があったからか、「九龍城砦」を記念するために立てられた公園も「九龍寨城公園」と名づけられています。
遺跡もあって、「九龍寨城」が正しいから、「九龍城寨」なんて忘れればいいと思っている人もいるでしょうが、歴史的な観点からすると、そんな簡単に説明できるものではないかもしれません。
「九龍寨城」は確かに最初の名前ですが、第二次世界大戦が終わるまでは明らかに軍事用の地域でした。それに比べて「九龍城寨」こそが、戦争後にスラム街が築かれ、無法地帯のイメージを世界につける場所です。
「九龍寨城」と「九龍城寨」が表している風景が全然違うため、どちらが正しいと判断するより、どちらにもちゃんと意味があると理解するのが大事だという考えもあります。
まとめ
「九龍城砦」の本当の名前はどちらだ?と質問されたら、香港人も困惑するでしょう。
素朴に見える疑問ですが、実際は二者択一の回答では答えられないです。
冒頭でご紹介した映画「九龍城寨之圍城」も、ちゃんとその違いを理解した上で「寨城」ではなく、「城寨」をとったでしょうか。
いつかこの映画が日本で公開されるといいですね!